Vietnam 2002

 

【成田空港発ホーチミンシティ行き】 2002.1.3 17:40 成田空港発ベトナム航空957便に搭乗。ベトナム航空だけど、日本航空とのコードシェア便で、機体はJAL機材、スチュワーデスさんの方々もみんな日本人、すべての座席には液晶パネルがあってすばらしい。でも、機内にはベトナム人の汗臭さがあって、これからベトナムに行くんだなという気持ちが高まってきた。テレビ画面のニュースでは名古屋の記録的な大雪を伝えている。離陸してしばらくすると機内は暗くなった。早いけど、仮眠の時間…。

 約6時間のフライトもそろそろ終わり。時速910km 高度10700m を飛んでいた日本航空機(JAL)は少しずつ下降してきた。いよいよ来るぞ、ベトナム!窓の下には、民家の明かりが大きく見えるようになってきた。金とオレンジ色の板状のあかりが点在する静かな風景が大好きだ。

 タンソンニャット国際空港に到着。真夜中だけど気温26℃、夏に来れば、もっと気温が高く、湿気で精神的なダメージが大きいけど、ベトナムの1月は涼しい!20ドルを30万ドンに両替。メータータクシーに乗って、空港からホーチミンシティ(旧サイゴン)の中心街へ。チップも含めて60,000dongを(500円)渡す。とりあえず、ブイビエンのあたりで5ドル(600円)の安いホテルをさがす。

 おそい時間だけど、おなかがすいてきた。レストランに行くと、若い男の子たちが笑顔で話しかけてきた。ベトナム人はみんな、本当に笑顔にかわいいのだ。友達になったヒウ君、ナン君、ボク君の3人と一緒に食事。チャーゾー、からあげみたいなもの、マカロニ、ビールやジュースを飲んで43,500dong(370円)の支払い。

 そして、深夜のホーチミンシティは、あのごった返した人込みが嘘のように、しんと静まり返っていた。中国風やフランス統治時代のデザインの建物の間に、透き通るような紺色の空がずっと奥まで続き、星たちがちらちらとまばたいていた。静かに時が流れていった。

 

【喧噪の街】 朝早くから、ホーチミンシティはたくさんの人でごった返していた。車やバイクの排気ガスの多さ、クラクションやエンジンをふかす音、人の汗臭さ。これを体感したくてホーチミンシティにきたはずだったけど、やっぱりうんざりした。とりあえず、VN航空オフィスに行き、帰りの飛行機のリコンファームを済ませておく。 朝食は屋台のバインセオ。フランス統治時代の文化を受けて、ベトナム料理はおいしい。屋台がまだあって本当にうれしい。日本では屋台がほぼ姿を消した。ベトナムでも少なくなりつつある…。



【長距離バス】ベンタインのバス乗り場へ向かう。ベンタインから西部のミエンタイへバスで4,000dong、さらにミエンタイからチヤウドックへの長距離バスに乗って38,500dong。あ~8時間かかるとか言ってたなあ。バスの中では、おじさん、おばさんたちが親切に話しかけてくる。なかなか言葉が通じない。でも、心が通じていれば、何となく笑顔で話せる。とちゅう、物売りたちがバスの中に入ってくる。ネムルア、パン、ウォーター、うずらの卵などを買ってバスの中で食べる。

 

【すべてをつつみこむメコン川】中国、タイ、ラオス、カンボジアを流れてベトナムに流れ込むメコン川の後江にさしかかった。長距離バスのままフェリーに積み込まれて川を渡っていく。東南アジア最大の川、日本では考えられないほどの広大な景色。そして、網の目のように小さな水路が縦にも横にも張り巡らされ、まるで川が道路になっているかのように、たくさんの小舟が行き交う。

 


【チヤウドックに到着】どうしてここを訪れるのか。いつかはカンボジアにも行きたいなという気持ちがある。だから、カンボジアとの国境の街を選んでいる。そして、メコン川のもっと上流はどうなっているのか見たいと思ったし。長い長い長距離バスの旅は、1時間遅れで9時間かかり、21:00にベンセーに到着。バイクタクシー6,000dongでチヤウドックの中心街へ。気温は高くない。日本でいうと、夏とは言ってもお盆を過ぎて秋が近くなってきたころって感じ。ホテルでズボンを洗濯したけどかわかない。ホテルの宿泊料は10万ドン(830円)



【聖なる山、サム山へ】サム山はチヤウドックの中心よりは遠い。5kmくらいはあるかな。歩いて行こうと思ったけれど、やはり疲れてきた。バイクタクシーを見つける。やさしそうなおじさん、4000ドンでいいと言う。20分くらいで到着。ふもとには仏教のお寺がある。たくさんの人。頂上まで230mあるけれど、またまたバイクタクシーを使う。いちいち値段をねぎるのが大変。ドライバーたちの間でもガヤガヤもめて大騒ぎ。本当はもっと安いのかもしれないけれど観光料金と言うべきか、15,000ドンで頂上にバイクで行くことにした。しかも、3人乗りで。ホンダのバイクに3人が乗って山をのぼっていくのだからすごいな。

 

【サム山の頂上からあたり一面水田地帯、というか水源地帯というべきか、水であふれている感じだ。見渡す限り、水というか湖というか、その中にチヤウドックの街が浮かんでいるようにも見えた。このチヤウドックの街はカンボジアとの国境に近い街だ。ベトナムとカンボジアの仲が悪い時は、この街はいったいどういう立場だったのだろうか。と考えていると、足の親指に強い痛みを感じた。あ~!アリだ!小さい茶色いアリが足の親指に噛みついている。こんな小さなアリなのに、かまれると強烈な痛みを感じる。下りは歩いて帰ることにした。急な坂。ここはまるで山形にある松尾芭蕉も訪れた山寺か。下を見ると建物が小さく見えて、けっこうこわい。

 

 


【かわいい子どもたち】サム山のふもとでは、かわいい子どもたちが遊んでいた。メンコ遊びみたいなことをして、なんだか昭和の子どもたちみたいなのだ。ベトナムの子どもたちは人懐っこくて、本当に笑顔がかわいいのだ。そして、靴もサンダルもはかずに、はだしでたくましい。田舎だからこその良さがここにはある。純粋で、素朴で、人間らしい。

 

【ボートツアー】午後はメコン川(後江)の船乗り場に行く。さあ、チャムの村へ。バウ君は6歳、はじめは泣いていたけれど、自分が持っているカメラやビデオカメラを見せたらすぐに泣きやんでだきついてきた。本当にかわいい。

 

 

【フローティングハウス】本当に浮かんでいるんだけど、けっこうどっしりしている。波でゆれるということもない。本当に浮かんでいるのかな。

【チャム族】少数民族であるチャム族が住む村に上陸。高床式の2Fの玄関には、イスラム教の文字が書かれている。サロンや帽子を売りつけられる。まあ、それしかないのだな。

【バウ君の家】2時間のボートツアーで60,000ドン(500円)、バウ君の家にも案内された。けっこういい暮らしだなあ。川に浮かんでいる家なのに、きちんと電気が通っているんだ。バウ君のお父さんは壁にペンキを塗っていた。

 

【シクロを体験】夕方、ひまだから、またサム山にでも行こう。チヤウドックは田舎で素朴でいいんだけど。お寺でお線香をあげたり、虫よけのクリームなどを買ってすごす。ベトナム戦争でたくさんの人が亡くなったので、慰霊するための説明もある。ベトナムと言えばシクロという人力車のような乗り物が名物だ。「運転手さん、お願い。ぼくにシクロを運転させて。」「本当かい、けっこう大変だぞ。」「体力には自信があります。運転手さんは後に乗って。」自分が運転手になってこいでみた。おもしろい!でも、足の裏からものすごい汗が出てきた。

【市場の食堂にて】夜はいつもの食堂、ホイ族(華族)のお兄さんが経営する店で夕ご飯を食べる。今晩はカタツムリのおかずにチャレンジ。う~ん、うなぎのような食感に近いけど、味はうなぎじゃないな…。ここチヤウドックは、キン族、ホイ族、チャム族、クメール族の人がまじって生活している世界。小さな町だけど、カンボジアとの国境、メコンデルタの奥地にも、いろんな文化がある。シクロのおじいちゃんと話をしていると、ベトナム戦争の話になった。このおじいちゃんは、ベトナムのエアフォース1だと言っていた。大統領を飛行機に載せる仕事をしていたということ?ベトナム戦争が終結する1975年までヘリコプターを動かしていたらしい。

【教会でのハプニング】食事を終えて夜の街を散歩しているとキリスト教会があった。もう夜なんだけど、敷地内を一回りした。熱心に祈りを捧げるシスターたちがいた。ベトナムは中国式の仏教が多いけど、フランスやアメリカの影響でキリスト教信者もいるんだろうなあ。さて、帰ろうとしたら、いつのまにか門の入口にカギをかけられてしまっていた。まわりは高い塀で囲まれている。え、出られない?教会の礼拝堂の近くにいたシスターに助けを求める。「すみません、カギがかかって、帰れなくなりました。」「あなたはカソリックの信者ですか。」「はい、私はカソリック信者です。ここで祈りをささげていたら、かぎをかけれらて出られなくなってしまいました。」「そうですか、気を付けて帰ってください。」「カムオン(ありがとうございます)」

 

【さよなら、チヤウドック】朝4時50分、静かな夜はとつぜん終わる。急に街の中をバイクが走り始め、たくさんの人が外でサッカーボールを蹴り合っている。こんな朝早くから笑い声が響いて、街が動いている。バインミーを2つ買う。具をたくさん入れてくれた。おいしいし、安いので2つ買う。3000ドン×2(50円)と超格安で最高!フランスパンにレバーのペーストを入れるのが大好きだ。

 

【再びホーチミンシティへ】また長距離バスの長旅だ。でこぼこ道で、バスの床の板がはずれそう。大きくゆれた瞬間に金属の部品が落ちてきた。オンボロのバスなんだけど、これがベトナムらしさだ。そんなベトナムも、時代が進んでどんどん新しい道路の建設計画が進んでいるらしい。川を渡る時はフェリーもあるけど、巨大な橋も完成した。立体交差点なんかもできるらしい。古きよきベトナムの農村風景もいつかは変っていくことだろう。バスの中に、また物売りの女性が入ってきた。「そのお弁当、1つ買います。」コムガーの弁当を7000ドン(60円)で買う。鶏肉のお弁当で、安いし、おいしい!夕方、ホーチミンシティのミエンタイに到着。

 

【戦跡博物館へ】シクロに乗ってフォーホアを食べに行く。以前はドライバーたちに取り囲まれて高い値段をふっかけれらてうんざりしたシクロだけど、今はなくなりつつあるシクロを守ってあげたい気分だ。戦跡博物館では、ベトナムの子どもたちの絵を展示していた。戦争の記憶をよみがえらせる悲しい絵だ。

 

【メコンデルタ、ミトーの街】チョロン地区からバスでミトーへ。メコンデルタの中でも、ミトーはホーチミンに近い方だ。やはり、自分はメコンデルタの大地と、広大のメコン川をもう一度目に焼き付けておきたかった。3時間で15万ドンの舟に乗る。対岸が見えないくらいの本流も好きだが、網の目のように張り巡らされた小さな水路も好きだ。ジャングルの中を進んだり、住民の家の中が丸見えの水路を進んだりするのが楽しい。ここ、メコンデルタは、土の道路よりも水路が道路なのだと思うくらい。

 

【中国系のチョロン地区へ】バスに乗って再びホーチミンシティを目指す。ぎゅうぎゅう詰めで、暑い!なかなかバスが出発しない。満員になるまでお客を集めてから出発する気なのか。ようやく走りだすと、窓から気持ちのいい風が入ってきた。ベトナムの風。バスの天井には自転車を何台も乗せ、アヒルも乗る。田舎道とは言え、交通事故も多い。救急車も多く出動する。稲刈りの時期で、新年のかざりものも多い。コメ、ココナツ、さとうで作ったかざりが民家のあちこちにぶらさがっている。チョロン地区はホーチミンシティの中で中国系の人が多く住むエリアだ。16:30 学校が終わってたくさんの子どもたちが門から出てきた。ベトナムの小学生は制服を着ていて、青いズボンに白いシャツ、赤いスカーフみたいなものをつけていてかわいい!チョロン地区はスケールが大きいというか、気軽に買い物を楽しめる雰囲気とはちょっと違う熱気があるというか、みんな真剣に生活をしている迫力を感じるところだ。中国系の人たちは、たくましいのだ。シクロのおじさんが30000ドンでいろいろ案内してくれた。一緒にレストランで夕食をとる。20000ドンの料理を頼んだけど、ウエイトレスのお姉ちゃんは違う料理を持ってきた。シクロのおじちゃんはおこって文句をつけた。まあ、ゆるしてやったら、いいよいいよ、その料理を食べるよ。気にしないで。そして、このチョロン地区で自分が気に入っているのは、ベトナムコーヒーの豆が安いことだ。街中にコーヒーの甘いかおりが広がる。ベンタインなどで買うと観光料金なのかどうしても高いのだ。でも、外国人観光客があまり来ない市場では、ベトナムコーヒー豆100グラムで7000ドン(60円)で豆を買うことができる。

 

【タンビエット、ベトナム】ホテルニューワールドの近くでシクロを降りた。初めてベトナムに来た時と同じと同じ場所。そして、またしてもというか、ドライバーは値段をあげてきた。「夜おそくなったから、お金をもっとくれ。」「ノー!食事とビールまでおごってあげたのに、これ以上やるれるか!」

 21:00 早めにタンソンニャット国際空港に向かうことにした。リートンチュン・ストリートは外国人観光客のすがたなく、完全にベトナム街だ。さすがに国際空港まで7~8kmを歩くわけにはいかない。ホーチミンシティの市民ならみんな英語を話せるわけではないけど、バイクタクシーのおじさんをつかまえる。「サンバイタンソンニャット。」「ハイチュックガン(20000ドン)」「カムオン」(ありがとう)「タンビエット。」(またね)

 

地図:ホーチミンシティ中心部

 

地図:ホーチミンシティ/チョロン地区