【令和6年(2024年)10月】「かさあげ」工事が進められています。ここ数日の雨で土砂が崩れ落ちています。
【令和6年(2024年】9月】造成工事(盛り土)と水道切り替え工事が始まりました。新しくできた橋に合わせ、周辺が「かさあげ」されます。橋の近くは約1mほど高くなります。現在のバス通りの高さはだいたい今のままです。なだらかな傾斜ができる予定です。工事車両が出入りして騒音もあるかと思います。この場所はかつてゲートボール場と呼ばれ、多くの人が集っていた場所だそうです。蔵のまわりでは闘鶏(けんかどり)の大会も行われてにぎわったそうです。
【令和6年(2024年)7月】浅水川にかかる新しい橋を通り、八戸駅西口へつながる道路工事がいよいよ始まります。近所の子供たちが集って野球をして遊ぶ姿はまるで昭和時代のような風景でしたが、敷地が道路によって分断され、残念ながら遊べなくなります。利便性は上がるのですが、区画整理は土地を3割けずられ、畑をとられるので残念です。
【令和6年(2024年)6月】樹木が伐採されて整地されました。このあと、馬渡家の北側の敷地は9月から道路工事や盛り土・造成工事が始まることになりました。矢沢バス停のある通りは道路の幅が拡張され、新幹線レールを越える大きな橋が建設される予定です。ただし、ここにかかる橋の建設については何十年も前からそういう計画があると言われていますが、いつ実現するのかは今後もわからないとのことです。
【令和6年(2024年)5月】3月から4月のかけて2か月間で樹木が伐採され、根も抜根されました。大きな石もたくさん出土されました。おそらく明治・大正あたりには和風の庭園を作っていたのではないかと想像されます。バス通り沿いにあったスギの木は、惣次郎(曾祖父)が植えたと伝えられています。親戚の康三さんの話では、戦後、この辺りは今ほど木があったわけではなく、馬が放牧されていたそうです。(戦前は当主の馬渡又兵衛や馬渡なほが優秀のサラブレット馬を生産したということで、県から表彰もされています。)杉の木は戦後に馬渡惣次郎が植えたと言われています。
【令和6年(2024年)4月】ついに馬渡家を取り囲んでいた樹齢150年のケヤキが姿を消しました。明治時代から、もしかして江戸時代からあったかもしれないケヤキの木です。とても残念ではありますが、八戸市の決定に従いました。近頃は樹木の老齢によって木が倒れるニュースも多いので、安全のためには良かったと考えています。昭和8年に創建された作陽稲荷神社も遷座祭を執り行い、拝殿を取り壊し、農作業小屋の隣に仮置きをしています。
【令和6年(2024年)2月】矢沢橋東側から浅水川沿いにフラット八戸に向かう道路の建設が始まりました。
【令和6年(2024年)2月】矢沢橋西側の道路工事、整地工事が進んでいます。「矢沢十文字」がなくなり、道路は大きく変わります。矢沢・三条地区に来る多くの人は道に迷うそうです。地元の住民でも道に迷いそうだと言っています。
【令和5年(2023年)5月】樹齢150年~200年近くあるケヤキの幹の部分も伐採されました。
【令和5年(2023年)5月】道路沿いの塀の内側にあった杉も伐採が進んでいます。この塀も撤去する予定です。馬渡康三さん(神楽保存会)が子どもの頃は、この道路はもっと低く、塀の礎石に腰かけて座って休んでいた人たちがよくいたそうです。
【令和5年(2023年)4月】当家が所有する作陽神社の後ろ側にあるケヤキが伐採されることになりました。このケヤキはビルに例えると7~8階くらいの高さがあり、長い間、この地域のシンボル的な存在でありましたが、市の決定に従ってついに伐採することになりました。枝はかなり重いです。これまではこんもりと茂っていた鎮守も森でしたが、向こう側が透けて見えるようになりました。
【令和5年(2023年)2月】矢沢橋西側の道路工事が始まりました。この辺りは50cm~60cmくらいのかさ上げになりそうです。雪があっても工事を進めるとはすごい技術です。
【令和4年(2022年)12月】矢沢橋の北西側の整地が進んでいます。八戸西高校や三条中学校に直線的につながる道路もできました。次々と新しい道路ができるので、カーナビには反映されていません。
【令和4年(2022年)5月】浅水川にかかる新しい橋の工事が進んでいます。この橋が完成すれば駅の西口に直線で行けることになります。
【令和4年(2022年)2月】矢沢橋は残りますが、矢沢十文字(馬渡工務店の前)とつながる道路の向きが変わります。建設は令和5年度です。森林の伐採も令和5年度です。ここ2、3年で景観が変わりそうです。
【令和4年(2022年)2月】橋の建設は令和4年度です。これから工事車両の出入りが多くなります。この辺りは田んぼやりんごの木が並んでいたそうです。
【令和4年(2022年)2月】浅水川沿いにも幅6m道路が建設されます。令和7年度の計画です。浅水川沿いの景観がもう少し美しいといいのですが・・・。この辺りは馬小屋が建ち並んでいたそうです。
【令和4年(2022年)2月】バス通りの道路拡張は令和7年度(2025年)です。それに先駆けて令和5年度(2023年)には森林を伐採します。9月の矢沢まつりには、このバス通りを矢沢観音に向かって山車が進んで行きました。11月にはイチョウの葉が黄色に染まってひらひらと舞い降りてきました。ここは道路を拡張して、一番町につながる巨大な橋が建設される予定です。森林を伐採する業者を探して、業者と交渉して進めるのも自分たちなんだそうです。日頃は自分も仕事が忙しく、そういうことを考える時間的な余裕がなかなかないので大変です。
【令和4年(2022年)2月】八戸駅西区画事務所から今後の具体的な計画が示されました。新しい街づくりとして区画整理があることは理解しますが、古くからここに住みついている人たちにとっては、歴史の大きな転換期で、これまでの地域の縦のつながり、横のつながりが切れるおそれもあります。後世に今の姿を伝え残していきたいものです。令和4年(2022年)には蔵を解体します。蔵にかかる道路建設は令和8年(2026年)の計画です。蔵の解体業者を探すとか、業者と交渉して解体を進めるのは自分たちでやらないといけないそうです。言い伝えでは、この蔵は八戸駅(尻内駅)が開業する明治24年(1891年)よりも前からあったと言われ、140年近くの歴史があると考えられています。壁のひび割れも目立ち、だいぶ老朽化が進んでいて危ないので早めの取り壊しが決まりました。この蔵の前はゲートボール場と言われ、地域の皆様が集う場でした。闘鶏も行われていてにぎわった場所です。明治・大正・昭和のあたりは馬が飼育され、放し飼いにもなっていたそうです。最近では子ども会のシャボン玉作りなどのイベントもありました。地域の皆さんの懐かしい思い出のシンボル的な存在ともなった蔵が解体されるのは本当に寂しいことです。