【関西空港発ホーチミン行き】2000年7月、関西空港。4階ののVN航空カウンターでチェックインし、関税2650円の券も自販機で購入。3階の出国審査は長い行列ができていた。目の前にはフランス人のかわいい少年やキティちゃんのかばんをもつ日本のかわいい女の子も並んでいる。こんな子どもたちも家族旅行でベトナムに行く時代になったんだ。
シャトルに乗って搭乗口50番へ移動すると、職員に名前を呼ばれる。何かトラブルにでもなったのかな。「大変申し訳ございませんが、エコノミークラスからビジネスクラスに移っていただけないでしょうか。」「は、はい。いいですけど。でも、窓側に座りたいんですけど。」「空いていれば窓側をご用意いたします。」
西日本には台風6号が接近して心配だけど、11:20 VN941便は無事に離陸した。ワンランク上の席を案内されて、機内食もエコノミークラスより豪華なのはうれしいけど、まわりのおやじたちの団体様が感じ悪いし、タバコなんかも吸うし。まさに良いことも良くないことも同時にあるのが旅なんだ。
【ホーチミンシティで乗り継ぎ】日本時間16: 40、ベトナム時間14:40、雨のホーチミン国際空港に到着。ビジネスクラスの乗客が最初に入国審査に通された。1番って気持ちいい。税関をとおって、ドメスティックライン(国内線の乗り継ぎ)に連れていってもらう。「ここで税金を納めてもらいます。20,000dongです。」「え、まだVietnam dongはなくて、USドルしか持っていません。」「じゃあ、こっちで両替をどうぞ。」ベトナム航空カウンターのランちゃん、とても笑顔がかわいい。「ハノイに行くの?ホーチミンシティに戻ってきた連絡して。いろいろ案内してあげるから。」「え、本当?ありがとう。」「ところで、あの他の日本人の人たちは、あなたの友達?」「いいや。」「友達になったら?」「うーん。」欧米の観光客はみんな4~5人のグループで行動している。日本人は数名いるけど、一人でさびしそうに旅行しているように見えるのかな。「ハノイでは日本円は両替できないわよ。」「ありがとう。じゃあ、またね。」

【ハノイ国際空港に到着】約2時間のフライトでベトナムの首都ハノイに到着。中心部に行くミニバスに乗車。22,000ドン。ロンドンに留学しているというフォン君がとなりの席に座った。4か月間、日本語を勉強したこともあるという。流暢な英語を話すフォン君。めちゃくちゃ頭よさそう!奨学制度で大学に通っている。
【夜のハノイに到着】ミニバスを降りた瞬間、あっという間に大勢のバイクタクシードライバーに囲まれて壁ができる。せっかく仲良くなったフォン君にさよならも言えずに別れてしまった。暗いのでまわりがよく分からない。とにかく寝泊りできるホテルをさがす。感じのいいバイクドライバーを一人選ぶ。「10ドル以下の安いホテルに連れて行ってちょうだい。」ホーチミンシティのファングラオ・ストリートのように外国人観光客が集まるエリアとはちがう。あまり飲食店がない。外国人の姿が見えない。街並みが暗くて心細いけど、バイクドライバーはいろいろ親切にしてくれたから1ドルあげた。ホテルは3日間で30ドル。
外に出て夕食をとる。コム(com/ごはん)は弥生式土器のような大きなおひつに入っている。一人ではこんなに食べれないよ。全部残さず食べなきゃだめかな。ほうれん草のおかずも大盛で、一人ではなかなか食べきれない。鶏肉のぶつ切りはカレー風味。コカ・コーラは全く冷えていない。34,000ドンの支払い。
【ホーチミン廟】今日は暑くなりそう。ハーディエン広場には警官が立っている。「すみません、ホーチミン廟の入口はどこですか。」「あっちへ行け!あっちへ行け!~~~~~~!」Hochiminh廟の入口からは、ものすごい行列ができていた。こんな行列は見たことない。1000mより長いかも。それもベトナム人ばかり。外国人の姿が見当たらない。たくさんの家族連れが行列に並んでいる。日曜日だからこんなに混んでいるのかな。荷物預かり所で女性警官に呼び止められる。「このバッグの中身は!」こわそうな顔!「お金、パスポートのコピーなど、旅行に必要なものが入っています。」「ベトナム語は話せるの?」「いいえ。」「仕方ないね。」と女性警官がにっこり笑った。
7:30に並んで 9:00になり、ようやくHCM廟の前に来た。汗でYシャツはびっしょり。でも、こんなに長い行列に並んでいて、ベトナムの人は不愉快な顔をまったくしないからすばらしい!みんな、ホーチミン氏に会えることを楽しみにわくわくしている感じ。警備は厳重。列を乱してはいけない。撮影禁止でカメラも預ける。出口で受け取るらしい。控えのキーホルダーをもらう。帽子もとる。HCM廟に入った瞬間、巨大な冷蔵庫の中に入った気分のひんやり感。まわりは大理石のかべ。ゆっくり列になりながら、階段をのぼっていく。だんだん暗くなる。さっきまで不良少年っぽい目つきをしていた中学生の男の子が「すげー!」と感動してほほえんでいる姿がなんだかかわいい。そして、ついに、建国の父、ホーチミン大統領がねむる部屋に入った。立ち止まってはいけない。ゆっくり歩きながら進む。銃剣をもった兵士たちに囲まれて、赤い照明に照らされてホーチミン大統領がねむっている。植民地時代からベトナム戦争時代までを生きた偉大な指導者の姿を見て、神々しい姿を見て国民はみんな幸せそうな表情。ホーチミン大統領が住んでいた家も見学。よい木材を使っている。質素だけど美的センスがあり、教養の高さを感じさせられる。


【ハノイ市の博物館・美術館】9:40 暑いのでジュース売り場は大混雑。一柱寺でお参りをしたあと、ホーチミン博物館へ。国家として威厳というか、重厚なすばらしい博物館。社会主義風のかたい感じがあるけれど、現代美術の最高傑作だ。とにかく地元ベトナムの観光客であふれている。ハノイ市民というよりは、地方からやってきた人が多い感じ。
ティエンビエンフー通りを歩き、軍事博物館に来る。ここもたくさんのバスが止まっていて、中に子どもたちが乗っている。自分の姿を見てキャーキャー騒ぎ始めた。ハノイっ子はおとなしいイメージがあるけれど、とにかく大騒ぎ。先生はやれやれと困った顔をしたけど、先生にカメラを向けると、にこっと笑ってくれた。みんなで写真撮影タイムが始まった。博物館の中に入ってもたくさんの子どもたちがかけよってきた。
お昼ご飯はポストカードを売る青年と一緒に食べる。この辺りは食堂やレストランがないかと思ったけど、青年のおかげで食堂に行くことができたので、ごはんを御馳走する。25,000ドン。そして、彼はやっぱりポストカードを売ってきた。50,000ドンだって。まあ、いいか。




【ハノイ市、ホアンキエム湖へ】ホテルへの帰り道のスーパーマーケットで、ジュースやミネラルウォーターを買い込む。そして、タンロンという果物をはかり売りで買う。8個で20,000dong。でも、ホテルに戻って教えると「これは普通は10,000dongくらいだよ。」と言われてがっかり。シャワーを浴びてからホアンキエム湖を目指して歩く。タイで言うと王宮広場みたいな感じ。たくさんのハノイ市民や欧米人、日本人の観光客も涼んでいる。釣りをしている人たちもいた。美しい眺め。貧しそうな男の子がガムを売りにきた。10,000ドンだという。3,000ドンならいいよ、と買ってあげる。
旧市街は道がせまいし、混雑しているし、迷ってしまう。でも、通りの名前が表示されているところがすばらしい。お土産屋も並んで楽しい。オリジナルハンコを3ドルで作ってもらえる店を発見。ベトナムらしいデザインに自分の名前を入れてもらえる。明日の夕方に取りに来てだって。





【国立劇団】水上人形劇はハノイの有名な芸能だ。爆竹を鳴らし、龍は水を吹き、火を吹き、人間が背泳ぎしてみたり、魚をつかまえる場面で人をつかまえて笑いをとる場面があったりして楽しい。水面からけむりが出る場面もあり、不思議だ。くじゃくが2羽なかよくなって卵が生まれ、子どもくじゃくが生まれる場面もほほえましい。最後は棒を操っていた劇団員が出てきてみんなで手拍子。劇団員も観客もみんなが笑顔になる。終わった後、ハノイに来るときに一緒だった3人の日本人と仲良くなって夕食をとる。みんな学生ではなく、働いているんだって。「みんな、お互いに働いていて、よく休暇とれたね!」
【ハノイの休日】今日は月曜日のため、いろんな施設が休みだ。朝5時、にわとりのコケコッコーという鳴き声が近所に響き渡って朝が始まる。まんがのような世界だ。昨日、旧市街でオリジナルハンコを7個オーダーしてあるお店に行く。ハンコ屋のお兄ちゃんが「約束の時間まで15分あるけど、できたぞ~。」とうれしそう。紙に押してみる。「いいね!」1つ1つ新聞紙に包んでくれた。
グリーンココカフェで食事。ウエイターのお兄ちゃんはハノイビールを勧めた。日本の総理大臣の話、日本の教育の話などもした。「ベトナムの人は、よく働くと思うけど、働かない人も多いと聞くけど、どうして?」「仕事がないんだよ。物売りも規制されているしね。」「そう言えば、昨日、ホアンキエム湖でも、てんびんをかついだ人がここに入ってこないように、と警官が見張っていたね。」テレビのニュースでも、路上の商売の取り締まりの強化をしていることが伝えられていた。警官が来ると急いでシートに商品を包んで逃げる様子が映し出されていた。かつて、日本にも同じような時代があった。ベトナムの暮らしは今、同じ状況にあって、大きく変化している。人々はみんな、経済的に豊かな日本に対してあこがれをもっている。日本に来て働くベトナム人もいる。
グエンタイホック通りに戻り、今日のいろんな出来事をホテルのお兄ちゃんやお姉ちゃんに教える。できあがったスタンプを見て大喜び。朱肉を持ってきて紙にたくさん押す。
さて、日本は幸せか、ベトナムは幸せか。「日本は第2次世界大戦で負けたけど、今は、ものすごいリッチな国だね。」「でも、日本ではたくさん勉強しないといけないよ。いっぱい働かないといけないよ。」「うん、うん。そうだろうね。」「だから、日本ではあまり楽しくないと思うよ。ベトナムではみんな楽しそう。」「そうでもないよ。ハノイは貧しい。」「日本では工業とか、オフィスワーカーが多く、農家の数が少なくなっている。」「ベトナムもそうなってきているよ。」「日本には3kという言葉がある。きつい、きたない、かっこわるい。みんながきつくない、きれい、かっこいい仕事をのぞんでいる。そのために一生懸命勉強して競争しないといけない。農業はいいと思う。食べ物をつくることは楽しいし、幸せなことだし、ベトナム人は楽しそう。よく笑っている。」自分はベトナムの一角しか見ていないんだろうけど、ベトナム社会は大きく変わった。おしゃれな店が増え、テレビを見るとベトナムポップスが増えてきている。もう社会主義国家ではなく民主主義国家のようになってきている。




【ハノイ市民のテレビ視聴】街中でよく見る風景だけど、ハノイの人たちはテレビと言えばCNN(アメリカのニュース番組)を見ている人が多い。日本人よりも世界のニュース番組をしっかり見ている。そのほか、台湾のTV番組、ベトナムのTV番組、よく分からない映画。衛生放送なんかも見ている。そして、ベトナムではサッカーが人気だ。街のあちこちでサッカーの試合を見ている。
【ハノイで最後の朝】昨日の夜から、ちょっとおなかの調子が悪くなってきた。便がゆるい感じ。暑いからジュースやミネラルウォーターを飲みすぎたかな。しばらく文廟でぼーっとすごす。となりで老人もぼーっと座って過ごしている。文廟とは中国の孔子を祀る廟だけど、西暦1070年に作られたそうだ。日本で言うと、まだ平安時代だ。座って勉強している老人の方がかっこいい。


【ハノイの空港】体調もあまりよくなくて何だか疲れがあるので、飛行機は14:30だけど、早めにハノイ・ノイバイ空港に行く。ハノイに来た時は夜で暗かったので気付かなかったけど、一国の首都としては暗くてじめじめした小さな地方都市の空港って感じ。お土産屋もない。でも、来年は現代的な建物に生まれ変わるらしい。ごはんを食べるところはないかと聞くと、空港職員の社員食堂をすすめられた。空港職員は昼間からビールを飲んでいる。それにしてもベトナム料理はボリューム満点だ。かたやきそばみたいなものを注文する。レバーも入って栄養ありそう。ライムの汁をたっぷりかけて食べる。
ベンチでウトウトと眠っていると、チェックインカウンターのお姉さんが「チェックインOKの時間になりましたよ。」と呼びに来てくれた。荷物を機内に預けた。「窓側の席をお願いしますね。」「いいわよ。」ボディチェックを受けると、「ポケットにカメラが入っているでしょ!」とチェック係のお姉さんは見逃さなかった。席に座っているお兄さんもパソコンの画面を真剣に見ている。お兄さんが席を立っていなくなったので、どんな画面なのかなと思ってのぞきこむと、搭乗者全員の名前が表示されている。すると、自分の名前のところに「REMARK」という表示がある。どういうこと?何だか「要注意人物だから注意しろ」みたいな感じに見えるんだけど。
エアポートバスに乗り、滑走路に止まっている飛行機へ。そして、階段をのぼって機内に乗り込む。このスタイルが自分は一番好きなのだ。なんだか一国の首脳が機内に乗り込んで外国を訪問する感じで、一歩一歩ふみしめて階段を上るのが好きなのだ。。昼間の移動は時間がもったいないと思ったけど、ハノイからホーチミンシティまでずっとベトナムの細長い国土の海岸線に沿って南下したので、景色が最高!ぐねぐねした海岸線、ぐねぐねした川、ジャングルのような大森林、赤茶色の大地、そして、世界どこでも変らぬ積乱雲。
【ホーチミンシティに到着】ターンテーブルで荷物が出てくるのを待っていると、「覚えてる?」と、ランがにこにこしながら迎えに来てくれた。「あまり遅いから、一度家に帰ってまた迎えに来たのよ!」妹のリーも一緒に来てくれた。「私たちの家に行くわよ。さあ、乗って。」妹リーのバイクの後に乗せてもらう。「ここが私の家よ。こっちは妹の家よ。」めちゃくちゃ大きな豪邸。「家族は?」「5人兄弟よ。姉は空港でアナウンスの仕事。父は早くに死んで、母が育ててくれた…。」と悲しげな表情になった。それにしても空港職員ってこんなにリッチなのか。
【開発が進むホーチミンシティ】ファングラーオ・ストリートはかつて外国人観光客が集まる宿泊街であった。しかし、ホーチミンシティは大規模な都市開発をしている。通りの目の前が何もなくなり、大きな重機とトラックが出入りする殺風景な所に変わり、人通りも少なくなってしまった。代わりに隣のブイビエン通り、デタム通りに人が多く集まっている。
【戦争の話】お土産屋のおじいさんが戦争の話をした。「1945年、日本はアジア各国に進駐していて、たくさんの人を殺した。ベトナムでは100万人の人が飢えや、日本軍に切り殺された。自分も髪の毛を短くさせられ、ふんどしをつけさせられ、JUDOを教え込まれた。森の中に大砲を撃ち込まれて、友達の多くが死んだ。刀で多くの人が切り殺された。(おじいさんは日本軍のまねをする。)戦争が終わると日本軍は切腹した。(これも再現して見せた。)1955年までベトナムには日本軍の人がいて、ようやく全員日本に帰って行った。今、自分はJUDOを教わったので元気にこの年まで生きているが、小さいころに受けた心のきずは一生わすれることができない。本当は日本人のことを好きじゃないんだよ。日本ではこの歴史をきちんと教えているのか?」「日本も過去の歴史を反省しています。日本の教育も変り、戦争の歴史を教えていますよ。」「でも、ちょっとしか教えていないだろう。今、君はベトナムの歴史を理解できた。でも、多くの日本人はこの歴史を知らない。」「・・・・・」 このおじいさんは小さい頃はハノイに住んでいたそうだ。「どうして今はハノイではなくサイゴンに住んでいるのですか?」「ハノイは共産主義で頭がカチコチだからさ。」「そうなんですか。でも、ホーチミンシティがどんどん変ってくるのと同じで、ハノイもどんどん変るでしょう。」「いいや、ソ連の影響を受けて、頭はカチコチさ。絶対に変わらない。フリーダムがない。今日言ったことは、絶対に外では言わないでおくれ。殺されるから。」「え、だれにですか?」「人々に。」「え!」おじいさんは声をひそめて言った。
【ホーチミンシティでのテレビ視聴】ホテルの経営者の家族は1Fの奥にリビングがあって、みんなでテレビを見ている。けっこう、ニュース番組とか固い番組を見ることが多いようだけど。「日本だとクイズ番組、歌番組、お笑い、トーク番組などバラエティ番組が多いけど。ベトナムはどうかな。」「し~。外にはポリスがたくさんいて、TVを見ている様子を監視されているんだ。ほら。」「え!」「・・・・・・」部屋に戻るとベッドにアリがたくさんいた。安いホテルだから仕方ないか。扇風機の風量を最大にしてアリを吹き飛ばすしかない。
【ホーチミンシティの朝】朝5時00分、外はまだ太陽も昇らずに薄暗いというのに、もう街ではバイクが走り始め、街が動き出している。そこは昔と変らないホーチミンシティ。7階の屋上に行ってちょっと朝の街並みでも眺めようと階段を上がる。不意に現れた黒い人影にぎょっとする。こんな朝早くから、若いそうじ係のお姉さんが廊下をふくなど仕事をしていたのだ。だれにも気付かれないように静かに仕事をしていたのだ。廊下や屋上の電気をつけてくれた。「カムオン(ありがとう)。」
【統一会堂の見学】初代の建物はフランス領の時代に1873年に完成した宮殿であり、太平洋戦争時代は日本軍も使用した。やがて、南ベトナムと北ベトナムの戦いになり、戦闘機の爆撃を受けて破損したので、1966年に現代建築として再建された。1975年、北ベトナム軍の戦車が突入し、南ベトナムの首都サイゴンが陥落した象徴となる有名な建物だ。薄暗い廊下を歩いていると、正面から小さな男の子が走ってきて泣きながら自分に抱きついてきた。えっと…。男の子はふと顔をあげ、自分がベトナム人ではないことを知ると逃げ去っていった。ここではアメリカ戦争(ベトナム戦争のことをベトナム人はアメリカ戦争と言う。)についての展示やビデオ上映がある。何度見ても衝撃的なのは、戦争に抗議した僧侶が焼身自殺を図った場面の映像だ。

【クチ・トンネルの見学】本物の銃を打つことができる場所があった。遠くの的に向かって銃を撃つ。自分は生まれて初めておもちゃではない、本物の銃を手にした。引き金をひくと、簡単に弾は飛んでいった。もっと手ごたえが重いのかと思ったらそんなことなく、軽くひいただけで弾が飛んでいくのに驚く。5発打ったうち、2発が的に当たった。



【サイゴン郵便局にて】ここでは国際電話をかけることができる。家族が心配しているだろうから、「ベトナム一人旅を満喫しているよ。」と電話する。料金は3分で10USドル。母は「口紅を買ってきて。」と言う。そんなおしゃれなものはどこに売っているんだろうと歩きまわる。開発がどんどん進む街中で、おしゃれなケーキを売る喫茶店なども見つけた。本当に旧サイゴンはどんどん変ってきている。夕食はガム売りの少年クオン君と一緒にチャーゾーを食べる。


【メコンデルタ・ヴインロンの街へ】路上の屋台でバインミー3000ドンとコーヒーミルク入り4000ドンを朝食にとる。バインミーもベトナムコーヒーも大好きだ。7:30 サイゴンBTからミエンタイBTへバスで移動するのに4000ドン。少し値上がりしたかな。8:00 ミエンタイBTではおっちゃんが「どこに行くんだ?」と話しかけてきた。「ヴィンロンだよ。」「切符売り場はこっちだ。こい。」切符を買ったら、さらにバス乗り場まで連れていってくれた。何十台もバスが止まっていて、どのバスに乗ればいいのかわからない。2人の男の子がやってきた。「このバスに乗るといいよ。このシートに座るといいよ。」「親切にしてあげたから、ガムを買ってちょうだい。」なんだ、ガム売りの子供だったのか。「いいよ。はい、2000ドン。」 今日も暑い。一度はバスの席に座ったものの、暑いので外に出てココナツを3000ドンで買って飲む。8:50 バスはようやくエンジンをかけ始めた。9:50 ようやくバスはのろのろと動き始めた。10:10 バスはようやく本当に走り出した。長距離バスは多くの人を乗せて満席になるのを待ってから出発するようだ。定刻というものがないんだ。メコンデルタの地域をバスがぐんぐん進む。この農村の風景が大好きだ。小さな水路にアヒルがいる風景もいい。だんだん植物が巨大になっていく。川も多くなってくる。11:20 ミトーの街の入口を通過。メコンの前江にかかる巨大な橋が見えてきた。前はフェリーで渡ったけど、公共事業がどんどん進んでいる。ベトナムの高度経済成長期のシンボル的な橋であり、デザイン的も美しい橋だ。13:15 ヴィンロンの街に到着。ここのいったいどこがBT?普通のガソリンスタンドのようなところで降ろされ、ほかのベトナム人はあっという間にどこかに行ってしまった。そして、バイクタクシーのドライバーに取り囲まれる。「とりあえずクーロンホテルに泊まりたい!」






【コチエン川のほとり】クーロンホテルに着くと、1階の暗い部屋を案内された。「リバービューの部屋にしてほしいんだけど。」「5ドル高いけど。」「いいよ。」ヴィンロンの街は、田舎で、タイで言えばチェンセーンのようなあまり見どころのない街に感じた。お腹がすいていたので、とりあえずクーロンAの隣のレストラン・フォートンで食事。コチエン川はけっこう波が荒く、流れが速い。あまり落ち付けない感じがした。午後はボートクルーズを楽しむ。クーロンツーリズムなどの会社にもボートクルーズがあるけど、川のほとりで個人的にボートを出してくれる人を見つける。6時間で12USドル。夕日がとてもきれい。






【ベトナムで思うこと】ベトナムに来て5日が過ぎた。今頃気付いたんだけど、不思議なことに、ヌォックマムのにおいが国中から消えている。4年前は、あの魚の生臭い感じで、塩のしょっぱい感じと発酵する臭いが国中を覆っていたのに。人々の食生活にも変化があるということかな。
【早朝のヴィンロン】5:20 外が少しずつ明るくなってきた。こんな薄暗い朝でも街は動き出し、たくさんの人が川のほとりでただずんでいる。こんな早い時間から、2人の男の子が川のほとりで休んでいる。一家で商売をしているそうだ。男の子たちが自分にお茶をごちそうしてくれた。温かいお茶が体にしみっていく。ひっきりなしにロンホー川とコチエン川が交差するあたりにボートが行き交い、水上のマーケットができる。新鮮な魚介類がたくさん並び、魚がピチピチ跳ねている。

【メコンデルタの街・カント―へ】川を渡るフェリーに乗り込む。巨大な橋ができて経済流通が発展するのはすばらしいけれど、バスを降りて人も車もみんなフェリーに乗り込むこの瞬間がとてもわくわくする。
4年前にも来たカント―の街はメコンデルタ最大の都市。ここもずいぶん変った。以前あったコーヒー豆を売る店がなくなって、スーパーマーケットができていた。日本がたどってきたように、小さな商店から大きなスーパーやデパートの時代になってきたのだ。カント―川のほとりで、4年前に自分を舟に乗せてくれた女性に会いたくて、いろんな人に聞く。「ああ、それなら、あの人だよ。」とみんなが教えてくれた。「おお!久しぶり!」自分の周りに20人ほどの人だかりができる。テレビの取材じゃないんだけど。「4年前に、この人に水上マーケットとか、あちこち連れていってもらったんだよ。覚えてる?」「覚えてるわ。」とほほえむ。「あれ、でもちょっとふっくらした感じになったかな。」「彼女は結婚したから少しふっくらしたんだよ。子どもを産めば女性はそうなるのさ。」と周りの人が言う。「ほら、この子が彼女の子どもさ。5歳になる。」「え…そうなんだ。でも、自分が会ったのは4年前だよ。彼女はまだ独身だと言っていたけど?」「あはははは!」と周りのみんなが大爆笑。

(フェリーに乗り込んでメコン川を渡る)

(建築関係のお仕事をしていたみなさん)

(かわいい男の子)

(この風景が最高にきれいだね)

(ぼくも舟を漕ぎたい!)

(夕暮れ、そして夜になっていく)

(見上げるとうっそうとした植物のトンネル)
【ホーチミンシティに戻る】ベトナム出国まで、ホーチミンシティで最後の時間をすごす。ガム売り少年のクオン君に再会。


【ゆかいな仲間たち】噴水の前でココナツを売る子どもたち。1000ドン~3000ドン。水分補給にはココナツが最高。夕方、ホーチミンシティは雨が降ったけど、雨上がりには夕日がさした。「ねえ、このてんびんかついでみたい。貸して。」けっこう重い。ココナツがたくさん入っている。みんなえらいね。みんな明るくて、よく笑う子たちだ。ベトナムは笑顔の国なのだ。











