Pakistan 2002

【ラワールピンディ】 北京経由でイスラマバード国際空港に到着。ついにイスラムの世界に足を踏み入れた!パキスタン北部の「交通の要衝」であるラワールピンディへ。行き当たりばったりで宿を探す。1泊800円の安宿は古くて暗くて狭くて、病気になりそう。防犯のためにある鉄格子も牢屋に入れさせられた気分にしてくれる。夜、食事をとりに外に出る。

 外のバザールはとてもにぎやか。たくさんの店が並び、夜遅くでも外で食事をしている人がいて楽しそう。日本だと夏祭りのビアガーデンとかショッピングセンターのフードコートのようなにぎわい。パキスタンのバザールは年中お祭りのような感じ。

「アッサラーム・アレイクム(こんにちは)。」明日は独立記念日とあって、子どもたちがパキスタンの国旗や、バッジを売っていた。ミッキーマウスなどのバッジ1つ1つに小さなパキスタン国旗がデザインされている。国旗だけの小さなバッジなら5ルピーだけど、ミッキーマウスなどキャラクターになると80ルピーなど大きさによってちがう。とりあえず、5ルピーの小さなバッジを一つ買って胸につける。




【インド国境の街 ラホール】ラーワルピンディの鉄道駅周辺は警察による警備で、厳戒態勢が敷かれている。30mくらい間隔で警察や軍隊が銃を構えて立っているのだ。政府の重要高官が来るのだろうか。何か妙な動きでもしたら射撃されそうだから離れる。

 長距離バス乗り場へ移動。高速道路の移動で5時間、途中荒涼とした山肌を見るのも新鮮な気持ち。

 混沌としたラーワルピンディの街並みに比べると、ラホールは道が広く、イスラム教の伝統服を着ている男の人たちが通りを行き交っている。それでも、何かゆっくりと時間が流れるような雰囲気を感じる。街全体はイスラムの国だが、インド人のような肌をした人が多いし、建物も何かインドに近い雰囲気を感じる。ここは歴代王朝が栄えたところ。400年も昔の巨大な城壁に囲まれた要塞があり、積み重ねてきた歴史の中にある重みが感じられる。 

 

 

 ラホールフォートの門はまだ開かない。中では独立記念日に関する式典らしきことをしているようだ。人々が「早く門を開けろ。」と待ちきれない様子でざわざわし、緊張感が増してきた。やがて、人々の押し合いが始まり、みんなで門に体当たりを始めたのだ。まるでアニメの世界だ。「せ~の!」ドーンとぶつかる瞬間に門が開き、ワ~と歓声とともに人々がドドドド―となだれこんでいった。





 中で行われていた式典が終わったようで、次々と公用車らしい黒い車が出ていった。式典に参加していた女子学生たちの集団があった。自分がカメラを向けて写真を撮ろうとすると「きゃ~。」と歓声が上がり「一緒に写真を撮って!」と大騒ぎ。「ハイ、チーズ!」と撮ろうとした瞬間に今度は男子学生の集団がなだれこんできた。「だめだめ、おれたちと写真を撮るんだ!」この男子学生たちは小学生から高校生くらいの集団で、社会科見学に来ていたようだ。みんなが飲んでいるジュースを自分にもくれた。イスラムの戒律では、写真の撮影については厳しいと聞いていた。西に近いほど厳しく、東に近いほどゆるいという。ここラホールでは、自分が写真をみんなにプレゼントするわけでもないのに「写真を撮って!」「一緒に写真を撮ろう。」と言ってくる。年配で戒律に厳しい人は、写真を撮る瞬間に下を見て顔を写さないようにする。また、撮る前までは大騒ぎしてはしゃいでいた人たちも、「ハイ、チーズ!」と写す瞬間は真顔になる。まるで昭和の日本のようだ。



 パキスタンではクリケットが国技なのだ。夜になればテレビでクリケット中継が行われ、ニュースで結果が報道され、日本で言えばプロ野球と同じ。球場は満席。このラフォール・フォートの城壁の近くでは、子どもから大人までがクリケットをしていた。今、この目の前の子どもたちの隣でも別なグループがクリケットをしていて、その隣でも別のグループがクリケットをしていて…20グループくらいがクリケットをしている。

 

 

 モスクに入ると、大勢の人が正座していた。あの社会科の教科書に載っていた光景である。1000人、いやもっとたくさんの人が見事に縦横をそろえて座っている。それまでざわざわしていた場内だったが、コーランが流れ始めると静まり返って祈りの時間が始まった。自分の隣に座っていた小学生の男の子が「ぼくのまねをして、こうやるんだよ。」と、小声で教えてくれた。ここで乱れた動きをしてはいけない。自分も額を床につけて祈りをささげた。




 シャリマール庭園では、男の子たち3人組が話しかけてきたので仲良くなった。「日本に帰ったら日本の硬貨を送ってほしいな。ぼくは世界の国の硬貨を集めたいんだ。」今日は独立記念日だから、顔にペイントしてはしゃいでいる。おちゃめでかわいい子どもたちだ。このシャリマール庭園では、あまり見ることのできない女性の姿を見ることもできた。暑いので庭園で水浴びをして遊ぶ人がたくさんいて、みんな幸せそうに見えた。でも、この庭園は、まわりの世界とは別世界なのだ。一部の裕福な人間でないと入れないところなのだ。入場門の外には、物売りをする子どもたちが群がっている。出入りする人を見つけては「ぼくからジュースを買ってください。」と必死に売り込みしてくる。ふらふらとやせ細った少年がゆっくり近づいてきた。「おなかがすいています…何か食べるものをください…。」この国では5ルピーのチャパティさえも食べられない子がいる。自分は少年にチャパティを買ってごちそうしてあげた。




 気温35℃、ラホールの街を歩き続け、自分は暑さで倒れそうになってきた。公園の木陰で、木の幹にもたれかかって休み、ウトウトしていた。100mほど向こうの水飲み場で、黒い服をきた少年が一生懸命にペットボトルをすすいで洗うことを繰り返しているのが見えた。何をしているんだろう…と思いながら、頭はぼーっとして眺めていた。すると、その黒い服を着た少年は、向こうからこっちに向かってまっすぐ歩いてきたのだ。そして、自分の目の前に立ち、「はい、どうぞ。」と水の入ったペットボトルを差し出したのだ。え~!何てやさしくてかわいい子なんだろう。「くつをみがいてあげましょうか。」この男の子はくつみがきの仕事をしているそうだ。この公園では他にも少年たちが同じ仕事をしているようだ。自分はくつじゃなくてサンダルだけど、まあいいか。「じゃあ、君は右足の方を、君は左足の方をお願いするね。」2人に5ルピーずつあげた。本当は1足で5ルピーみたいだけど、いいよ、受け取ってちょいだい。この子どもたちはラホールにいる子どもたちとは明らかに肌の色がちがう。言葉もウルドゥー語とは少し違うひびきに感じる。もしかして西側のパシュトゥン語を話す地域から働きに来ている?こんな暑い日に、この国ではこうやって働いている子もいるのだ。その後も暑いのでジンナー公園の木陰で休んでいると、先ほどの黒い服を着た男の子が再び目の前に現われた。そして、にっこり笑いながら、「(5ルピーの)パキスタン国旗のバッジを買ったよ。」と見せてくれたのである。「おそろいだね。」この少年のことは生涯わすれないだろう。

 

 

 街の中は男の人だらけ。みんな仲よさそう。

 

 


「ホワイトカレーはどうだい?」「うん、おいしい!」これは絶対日本でもはやりそう。




 あやしげな壷の中にはアイスクリームが入っていた。でも、ところてんのようなものとアイスクリームを混ぜていた…。(ハエがいっぱい飛んでいたので、これはチャレンジしない。)




 梨とかマンゴーがパキスタンではよく食べられている。




 2002年夏、はじめてイスラム教の国に来た。好きだから来たというわけではない。イスラム教の文化をまったく知らないから来たのだ。昨年は米同時多発テロでニューヨークのツインタワービルが崩壊、その報復でアメリカはアフガニスタンに空爆を繰り返す。さらに、反米だとか反キリスト教だと言ってパキスタン国内でもイスラム過激派による爆破テロが相次いでいる。そんな世界が混沌としている中でも、日本のNPOペシャワル会は代表である中村哲さんを中心に、パキスタンのペシャワルを拠点とし、隣国アフガニスタンへの医療活動や用水路建設の支援を行っている。中村哲さんの活動はニュース23でもよく見たし、講演会も2度聞きにいった。そんなこともあって、今回はイスラム教の国に人たちとふれあう機会をもつため、パキスタンに来た。

 年配の人と話をしていると、「お~、日本から来たのか、一緒に写真を撮ろう。日本と言えばヒロシマ、ナガサキだね、アメリカはひどいね。」と言う人が多い。日本とアメリカは同盟の関係だとわかっているんだろうけど、アメリカに対する気持ちと日本に対する気持ちは、ちょっとちがうみたい。

 

 

【パンジャーブ州ペシャワルへ】初めて海外で列車による移動!でも、予想通り、とりえあず切符は買って改札は通ったけど、ホームのどこで待つといいのか、何号車の何番か見てもわからない。結局、駅員さんに聞いて自分のベッドを案内された。同室の部屋の男性は体が大きくて人相もこわそう。寝ている間に何か盗まれたりしないよね…。翌日の早朝、男性が「ここがペシャワルだ。」と教えてくれた。見かけによらず、親切な人だった…。

 ペシャワルはアフガニスタン国境に近い街。国境近くの山岳地帯は政府の力も及ばない自治州があり、米同時多発テロのリーダー、ウサマ・ビンラディンがアフガニスタンを脱出して隠れているという噂もある…。

 

 ペシャワルの街はおしゃれな雰囲気は全くない。質素な感じ。朝、チャパティを食べているおじさんが「こっち座って、ごちそうするよ。」と誘ってくれた。チャパティもチャイ(ミルクティ)も最高!

 

 

 路上にあった水が利用できる所。水をくむ少年と体に水をかけるおじさん。この少年は何かを拾っては袋に入れていた。もしかして戦後の日本のように、鉄くずを集めて生活している?

 

 

 道を歩いていると、元気な男の子たちに話しかけられた。「ぼくたちのうちに遊びにおいでよ。」ついていくと、ここはスポーツバッグとイスラム教の伝統服や白い帽子を売る店だった。そして、アフガニスタンの山岳地帯でかぶる茶色い帽子もかっこいい!この家族は元々アフガニスタン出身だという。「今は夏休みだから、みんなでこの店の手伝いをしているんだよ。」「さっきはみんなでおつかいに行っていたんだ。」みんなは店の番をしながら勉強をし始めた。「写真をとっていい?」「いいよ、いいよ。」「イエ~イ!」はしゃいでいた子どもたちなのに、「ハイ、チーズ!」とシャッターを押す瞬間は真顔になる。お父さんは目線をそむける。

 

 ペシャワルのバザールは旧市街にある。せまい路地は迷宮だ。布地を売る店がとてもあざやか。そして、ここでも子どもたちが店の番を手伝っていた。そんなに忙しそうというわけじゃない。でも、こうやって家族で一緒にいるのは幸せそう。

 

 パキスタンやインドは紅茶の国だ。紅茶の葉っぱを売る店が多い。

 

「この店はぼくの店なんだよ。」少年は目をきらきらさせながら話した。「どういうこと?」「隣の店はお父さんの店だけど、こっちの店はぼくが経営しているんだ。」え~!経営している?「今は夏休みだからね。」英語が流暢で語学が堪能な少年。「学校では何の教科が好きなの?」「ぼくが好きな教科はね、理科と、算数と、英語と、国語と、社会と、体育と、音楽と、図工と…。」全部好きなんだ!めちゃくちゃ優秀な子だ。

 

【初めての光景】 そろそろペシャワルを離れようとする頃、衝撃的な光景を目にした。ある母親が、路上に座り込んで大きな声で鳴いているのである。そして、小さな子どもを抱きかかえていた。一瞬しか見なかったが、一瞬でわかった。その子は何かの病気で命を奪われたのだ。その子の顔色が、健康に生きている人間の顔色ではなかったのだ…悲しいことに、だれも何もしてあげられない。大勢の群衆が行き交う中、その母親はただ泣き叫んでいた…。

 

 

【インダス川】イスラマバードに戻る途中、長距離バスの中からインダス川が見えた。日の光に照らされて水面がきらきらと光っていた。あの広大な大河が、あらゆるものを洗い流しているようにも見えるし、新たな1日をもたらしてくれているようにも見えた。

【アフガニスタン料理店】イスラマバードに到着し、最後くらいは…と思い、アフガニスタン料理店に入る。食事を終えると、従業員の皆さんが出てきた。ちょっと遅い昼休みなのだそうだ。「どこから来たんだ?」「日本です。」「ぼくはアフガニスタン人だ。」「ぼくはパキスタン人だ。」「ぼくはタジキスタン人。」「ぼくは中国人。」「ぼくはキルギス。」「ぼくはトルクメニスタン。」こんなにいろんな国の人が、この場にこうやって勢ぞろいするなんて! みんな集って写真に収まってくれた。「シュークリア(ありがとう)」