尻内町矢沢の歴史〔6〕
《まぼろしの都市計画》これは近くに住む松倉○宏さんの話です。新幹線が新青森駅まで開通して、八戸駅を通過する新幹線があると、近所では窓ガラスが割れることもありました。風圧によるものです。そこで、風圧を減らすために新幹線レールの脇はコンクリートの壁ができました。そうすると今度は景色がよくないと苦情もあったそうです。区画整理の計画はかなり昔からあったようですが、令和の時代になって急激に進みました。平成の頃は、大仏地区の山や正法寺の山と切り崩して平野にする計画もあったようです。そうすれば、南部町や五戸町と一続きの広い地域になり、街が広がっていくことを想定したようです。しかし、大仏も正法寺も湧き水があり、山を切り崩して平野にするのは金額的にも大変なことで、まぼろしの都市計画になりました。
《矢沢観音堂の例大祭》矢沢の観音様は、八戸御城下三十三観音巡りの第二十一番札所に数えられ、古くから観音信仰の場として人々から崇拝されてきました。御本尊は、勢至観音菩薩が奉られています。言い伝えによると、昔、この周辺はたびたび浅水川洪水に襲われていましたが、「矢沢観音堂」と呼ばれる場所だけは小高くなっていて、水害を受けることがありませんでした。人々はそこに祠を建て観音様を奉り、災厄や苦悩からの救いを求めたとされ、本殿内には、産土様も安置され、大分古い時代から様々な形での信仰の対象となってきています。
神社の例大祭は、従前から矢沢祭りとして、御神酒上げ、神楽や相撲の奉納、山車等祭り行列の運行、盆踊りなどを行ってきましたが、近年になり観音様境内・外の環境変化により、一部の行事については日時と場所を変え、八月と九月の日曜日に挙行しました。本来の例大祭は、旧暦の9月17日に開催することにしました。(令和7年は11月6日)※町内会の回覧板「矢沢観音堂法会開催のお知らせ」より抜粋。





