尻内町矢沢の歴史〔6〕

《まぼろしの都市計画》これは近くに住む松倉○宏さんの話です。新幹線が新青森駅まで開通して、八戸駅を通過する新幹線があると、近所では窓ガラスが割れることもありました。風圧によるものです。そこで、風圧を減らすために新幹線レールの脇はコンクリートの壁ができました。そうすると今度は景色がよくないと苦情もあったそうです。区画整理の計画はかなり昔からあったようですが、令和の時代になって急激に進みました。平成の頃は、大仏地区の山や正法寺の山と切り崩して平野にする計画もあったようです。そうすれば、南部町や五戸町と一続きの広い地域になり、街が広がっていくことを想定したようです。しかし、大仏も正法寺も湧き水があり、山を切り崩して平野にするのは金額的にも大変なことで、まぼろしの都市計画になりました。