R6.11.8 原敬記念館
原敬(はらたかし)は安政3年、岩手県の旧本宮村(現在は盛岡市)に生まれました。大正7年~大正10年まで第19代内閣総理大臣を務めました。
原内閣は、立憲政友会で構成される、初の本格的政党内閣でした。(外相、陸相、海相は別)爵位を受けずに首相となったことで、平民宰相と呼ばれ、民衆から大いに期待されました。1919年、三・一独立運動が起きます。これは、日本の植民地となっていた朝鮮が、独立を求めて起こした反日民族運動です。同じく1919年、原敬内閣は、衆議院議員選挙法改正を行います。これにより、直接国税規定を10円以上から3円以上に引き下げられ、人口比にして5.5%の人が選挙権を得るようになりました。これに併せて、原敬は政友会に有利な小選挙区制を導入し、解散後の選挙で政友会を圧勝に導きました。しかし、原内閣に対する民衆の不満は蓄積しつつありました。この頃には、直接国税規定の無い、いわゆる普通選挙を求める声が大きくなっていた中、それが達成されなかったためです。そして、皇太子(後の昭和天皇)がヨーロッパへ渡航することを推し進めましたが、それに反対する勢力もありました。原敬はついに東京駅丸の内南口で暗殺され、その後は軍国主義が強まっていく時代になっていきました。